ネパールはダサイン真っ只中。
日本でいうところの年末年始のようでそれぞれが自分の実家へ帰る。
結婚している女性はまず夫の実家に一緒に帰り、その後自分の実家へ帰る。
お店も閉店が多く、バスも少ない。
そんなお祭り。
ダサイン前日、20.3キロだというカシ(ヤギ)が家に来た。
昨年は一週間ほど前から連れてきていて、毎朝せっせと草などを食べさせている大家さんを微笑ましくみていたのだが、今年は直前に連れてくることにしたそうだ。
前日、当日の朝にどこかに電話して(たぶんカシを育てている村人だろう)、「大きくて上等なもの」みたいなことをネパール語で言っていた。
そんなやり取りをチヤを飲みながら聞いていたのが先日。
当日の朝、何だかいつもより厳かな気がしたのは気のせいだろうか?
入れてもらったチヤを飲みながら、おじいちゃんおばあちゃんちに来た子どもたちと屠るその時を待っていた。
そしてその場所にプジャを始める大家さん。
なにやら地面に朱色のものを塗って、お祈り用のものを並べ、呪文のように聞こえる言葉を唱える。
横では薪で熱湯を沸かしている。
これはカシの毛を削ぐ時に使うのだ。
私がその様子をじっと見ていると、「怖くない?」と子どもが聞いてきた。
私は少し怖かったけれど、これは見るべきだという身勝手な使命感のようなものがあってつい「怖くない」と呟いた。
食に関わった仕事をしていながら、このようにまさに屠る現場を見るのは初めてである。
恥ずかしながら。
ネパールの新年の時もその機会があったのだが、私が友人宅に駆け付けたときは既に事が済んだ後であった。
だって朝5時だったのだもの、、、、、、、というのは言い訳にしかならないのだが。
私が「怖くないの?」と聞き返すと9歳の弟は怖くないと言い、13歳の姉は「怖いから見たことない」と言っていた。弟は手伝う気満々のようではしゃいでいる。
そして一瞬でククリ(ネパールのナイフ)が振り落とされ頭がころがった。
血が溢れ、頭部を失いつつも身体は懸命に動いている。
切り口からは湯気が立っていてどこか幻想的だな、、、と場に似合わないことを思ってしまった。
今でもその場面がすぐ思い浮かぶのは、男性ふたりでカシを抑え込んでいる状態。
頭の角を一人がもち、もう一人が身体を支える。
そしてその振り落とされた瞬間。
このシーンはまだ鮮明である。
ナイフを振り落とした男性のチャッパル(サンダル)に血しぶきが飛んでいた。
傍で見ていた近所の男の子の腕にも。
日本では無い光景。
昔はあったのかもしれないけど私の知らない光景。
でも、「いのち」をいただいていることをこうして実感する必要がある。
「いただきます」はただ挨拶のために言うわけではない。
ちなみにネパールの様々なお祭りは毎年占いによって決められるのでこのダサインの日程も毎年異なる。
昨年は9月半ばでまだ暑さの残る時期であったが、今年は10月下旬。
涼しく日中の日向は暖かいという最適な気候。
来年はいつごろになるのだろうか。